御祭神と由緒

御祭神

主祭神

日本武尊
やまとたけるのみこと
叡智と武勇の神

配祀

高龗神
たかおかみのかみ
祈雨・止雨

大國主命
おおくにぬしのみこと
商売繁盛・社運隆昌
事業発展・営業向上

倉稲魂命
くらいなたまのみこと
農業・商売繁盛・開運・文具・本

天兒家根命
あめのこやねのみこと
学業成就・試験合格

合祀

菅丞相(菅原道真)
かんのじょうしょう
学業成就・試験合格

手力雄命
たぢからおのみこと

淀姫命
よどひめのみこと

大山咋命
おおやまくいのみこと

由緒

ご創建の年代は明らかではありませんが、古い記録によりますと、往古鎮座の地は武蔵國荏原郡居木橋村(現在の山手通り居木橋付近)に位置していたようです。当時は「雉子ノ宮」と称され、境内には「ゆるぎの松」と呼ばれた大木があったと伝えられています。

江戸時代の初期、目黒川氾濫の難を避けるために現在の社地に御動座されました。その折、村内に鎮座の「貴船明神」「春日明神」「子権現」「稲荷明神」の4社をあわせてお祀りし、「五社明神」と称されました。

元禄郷帳に居木橋の石高は230石余、72戸で頭屋(年番)による運営がなされ、郷土の崇敬は篤く祭事は盛んで特に里神楽を催し、秋の大祭には他村よりの参詣も多く社頭は大変賑わったと記されております。

明治5年、社号を「居木神社」と改め、同6年旧制の「村社」に列格、続いて同29年および同42年には村内鎮座の「稲荷神社」「川上神社」「本邨神社」の3社6座が合祀されました。

昭和5年には氏子の崇敬熱意によりご社殿の改築にかかり、同8年9月に竣工されましたが、その荘厳を極めたご社殿も大東亜戦争末期に戦火にて炎上しました。

以来氏子崇敬者の赤誠による再建計画が進み、昭和52年5月5日着工、同53年3月3日上棟、同6月10日正遷座祭の儀が厳かな裡に斎行され、ときわなる居木の森高台地に荘厳優美な偉容を拝するに至りました。

境内には江戸時代の石像物がいくつか残っており、北側参道の鳥居と末社御手洗の鉢は、いずれも寛政4年(1792)に、石灯籠は弘化2年(1845)に奉納されたものです。

境内末社の厳島神社は品川区指定有形文化財に指定されています。また、拝殿前の石段の横手には溶岩積による富士塚があり、しながわ百景に選定されています。

富士塚

厳島神社は居木神社の末社ですが、もとは神社の傍にあった旧居木橋村の名主・松原家に屋敷神として祀られていました。後に居木神社が引き取り、末社としたものです。

小型の神社建築で、質の良い彫刻装飾が多用され、その多くに彩色が認められます。また彫刻部分以外の柱等にも彩色が施されています。これは概ね天明期頃まで通例とされた様式ですが、欅と思われる素木(しらき)を使った部分も多くあります。19世紀以降は素木の方が主流とされるようになり、多くは欅を用いています。これらのことや、概ね和釘を使っていることなどを合わせ、当初の建造年代は江戸後期で、後年補修を受けたものと推定されますが、保存状態も良好です。


彩色を施した江戸時代の社殿は、区内でも他にはないと思われ、貴重なものです。

御神宝 一刀彫神輿

この御神輿は、元の「い若会」(現在の居木橋町会)の人々が戦争前に多年の念願で発注された御神輿です。
戦後混乱期の中、元居木橋町会長小山和吉氏が相当の苦心を払い引き取られましたが、昭和五十三年居木神社御社殿の御遷座に際し、奉納されました。

これまでに、皇室の御慶事や伊勢神宮内宮御鎮座二千年祭、居木神社社務所竣工祭等、数々の奉祝行事に担がれてまいりましたが、現在では社務所に展示しております。
写真の通り欅の古木一刀彫の見事な御神輿です。
現存する御神輿では、古今東西に比類を見ない素晴らしい作品であり、郷土の文化財として現在申請中であります。

宮神輿

現在の宮神輿は昭和59年に地元の挽き物師である田中定吉氏により製作された、重さ1トン、台輪寸法二尺七寸の白木神輿です。銅葺き延軒屋根の勾欄造りで、三味線胴型台輪が特徴です。居木神社旧社殿の古材を用いて製作されました。

神輿には大拍子という馬の皮を張った鼓を蕨手にくくりつけ、竹の撥で笛に合わせて「品川拍子」という拍子を叩きながら担ぎます。大拍子の拍子に合わせて神輿を激しくもんだり静かに担いだり差したりします。

チョイチョイ担ぎともいい、「チョイナ、チョイナ、オイサ、オイサ」の掛け声とともに神輿を揺すりながら担ぐのが特徴です。